パナマと私

 パナマ船籍やパナマ運河という言葉は義務教育の中でも教えられており、また、ニュースなどを通してよく耳にしていたが、実際に自分の眼で見てみるとこれはこれはなかなか興味深い国だということがわかり始めた。1994年から1995年の間に3回、計5ヶ月ほどパナマに滞在した。

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当時はまだデジタルカメラは差ほど普及しておらずポジかネガで撮影したのでそれをデジタル化するのにとかく時間がかかるもので・・・、ダンボール箱に入っているネガを取り出して時間の許す限り整理し、説明を加えていこうと思っています。

 このときは、飛行機やヘリコプターをチャーターして主にパナマの沿岸域を視察したのですが、窓ガラスを通した写真はどうしても霞がかかったような結果になってしまう、しかし、なかなかできないことゆえ何とか整理を進めようと思っています。

その後はパナマへ行く機会はなく10年余りが経っている。その間、1999年12月31日正午にトリホス・カーター条約(新運河条約1979年)に基づいてパナマ運河が米国の管理からパナマへ主権が移譲された。運河地帯の返還に伴い、ガンボア地区の米軍住宅が払い下げされ、リゾートホテル等の開発が進んだと聞く。その後は知る術なく、しかし、パナマウオッチは続けているつもりです。

パナマ点描

AvenidaとCalle、パナマ・シティーは碁盤の目。

Panama City
Panama City
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パナマ点描

郊外へ出るとのんびりとした風景が広がっていた。道端でスイカ、パパイヤ、バナナを売る店。

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パナマ点描

ブーゲンビリアの花なの色が鮮明だった(この写真は差ほどでもない)。

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パナマ基礎情報

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