パナマ運河

 パナマといえばパナマ運河、パナマ運河のための国、パナマということになる。コロンビアから独立した経緯はそれを物語っている。

 パナマ運河建設自体には青山士(あきら)がガツン工区で測量技師として働いていた。日本人で最初にパナマ運河を通過したのは、エクアドルでの黄熱病調査のためニューヨークから赴いた野口英世である。

1990年代初頭、日本政府はパナマ運河代替案調査を実施したが、日本が直接関係することなく事業が進んでいる。

パナマ運河のルート


パナマ運河は太平洋と大西洋をパナマ地峡で結ぶ全長約80キロの閘門式運河である。パナマ運河は、スエズ運河を建設したフランス人レセップスが海面式運河建設に取り掛かるが資金難により会社が倒産、その後、米国へ引き継がれ1914年に完成した。

パナマ運河地帯は両側5マイルが米国の租借地となり、米国が管理していた。 太平洋と大西洋を閘門を通過しながら船舶が航行する。閘門は、ミラフローレス、ペドロミゲール、ガツンの3箇所にあり、3つの人造湖を通過する。所要時間は9時間である。航路の中でゲイラードカットが最も幅が狭く192Mと険しい。

パナマ運河と船舶

パナマ運河を通過する船舶は、閘門の規格から船舶のサイズが限られてくる。パナマ運河を航行可能な船舶をパナマックスと呼ぶ。概ね船幅32.3M以下、水深12M以下となる。一日平均の航行量は37隻、年間13000隻が通過する。マゼラン海峡経由と比較して21日間の短縮となる。 

パナマ運河を航行する船舶各種

 


パナマ運河を航行する船舶

パナマ運河を航行するクイーンエリザベスII世号(1995年)


 

ミラフローレス閘門(1995年)


パナマ運河地区


Google Map - The Panama Canal Area

パナマ運河と日本人「青山 士(あきら)」

パナマ運河建設に関係した日本人は「青山士」一人ではないだろうか、ガツン工区で技師として働いていた。

はじめてパナマ運河を通過した日本人

1918年7月6日、野口英世は大西洋側のクリストバル港に到着し、そこからパナマ鉄道で太平洋側のパナマシティへ移動した。アンコンヒルにあるチボリホテルに宿泊したようだ。

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